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自己肯定感の低さで
世界を変えにゆく。

PROFILE

リクルートホールディングス

サステナビリティ推進室

室長

伊藤 綾

早稲田大学卒。新卒で料理書の出版社に入社。1年で寿退職後、3年9ヶ月の専業主婦期間を経てゼクシィ編集部に。カスタマーインサイトをつかんだ企画の数々でヒットを飛ばし、編集長に就任。2011年当時、ゼクシィの媒体コンセプトを、ゴールとしての結婚式から、結婚後の60年先まで見据えた人生のサポートへと舵を切る。2016年にリクルートホールディングス ソーシャルエンタープライズ推進室(現:サステナビリティ推進室)の室長に就任。現在は、ダイバーシティやCSR活動の推進を通じて、世界を変える組織づくりに挑戦している。

 

ゼクシィブランドを再構築

2011年、あるCMが話題となった。樹木希林氏が出演したゼクシィのCMである。シリーズ第1弾では夫婦共演だったが、直後に内田裕也氏の事件が発覚、企画のお蔵入りが予想されるなか、樹木氏のみ出演する形で第2弾が放映されたのだ。結婚の素晴らしさを伝えるCMで、このような判断をくだすことはブランド毀損のリスクもあったはずだ。実際、社内でも企画を打ち切るべきではという声もあった。しかし、ゼクシィは継続の意志を貫いた。

当時、編集長だった伊藤氏いわく、

「完璧な夫婦像はきっと存在しなくて、誰もが夫婦になっていく途中なのかもしれない。幾多の困難を乗り越えながら自分たちらしい夫婦になってゆく。結婚式だけではなくて、そこからはじまる人生を応援したいという想いを『Get Old with Me』のスローガンに込めていましたから、おふたりのCMをなかったものにすることはできなかった」

それまでゼクシィは結婚式というハレの日をサポートする情報誌としてブライダルマーケットを牽引してきた。業績のインパクトだけでなく、マーケットへの影響もはかりしれないことから、ブランド再構築の難易度は高いとされていた。しかしCMを放映する少し前に結婚式のサポートだけでなく、結婚式からはじまる人生をサポートするというメッセージを前面に大きく舵を切ったのだ。カスタマーもこの挑戦を力強く後押ししてくれ、施策の数々が大きな反響を持って支持された。たとえば結婚生活の理想やふたりのルールを、結婚前に話し合えるツール「妄想用婚姻届」。夫婦間の目線のズレをなくすサポートがしたいという真摯な想いを愛とユーモアで包んだこの付録は、結婚が決まっていない人までゼクシィを買い求めるほどの支持を得た。ハレの日だけでなく、ケの日まで、モデルがドレス姿で微笑んでいるだけでは伝わらない結婚のリアル、核心をついた施策の数々がカップルの心をつかんでいった。

こうした想いが通底していたからこそ、伊藤氏率いるゼクシィ編集部は樹木氏のみ出演する第2弾の放映に踏み切ったのだが、この判断もマーケットに好意的に受け止められる結果となったという。

自己肯定感の低い変革者

伊藤氏を挑戦へと駆り立てるものは、なんなのだろう。リクルート創業者の言葉に「自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ」がある。功績だけを見れば、伊藤氏も創業者のDNAを継承した変革人材と映るかもしれない。しかし、実際はというと。

「新卒で入社した料理本の出版社を1年で退職し、3年半の専業主婦期間を経てリクルートに入社したんです。ブランクがあり、パソコンを使うのははじめてだったので、起動の仕方さえわからない(笑)。大勢の前でプレゼンなんてできないし、そもそも会話のスピードにもついていけない。1年ぐらいは本当に辛くて、出勤時にはお腹が痛くてトイレに駆け込んでいました」

とにかく自己肯定感が低かったと話す伊藤氏だが、これがブレイクスルーをもたらした。迷いや不安が人より多かったことが、ゼクシィ編集部が持ち得なかった独自の視点を生んだのだ。

「自信に満ち溢れた花嫁だけではないはず、肩や背中をあらわにしたドレスで堂々と会場に立てる花嫁ばかりではないはず。華やかなドレスの写真は読者の気持ちに寄り添っているのだろうか。もっと花嫁が安心できるような、リアルで、実用的な情報を掲載できないだろうかと考えたんです」

そうした発想で数々のヒット企画を生み出し、5年半で編集長のポストに就いた伊藤氏だったが、さらなる転機が訪れる。先述のブランド再構築という局面だ。双子の育児をきっかけに「生活」の比重を高めたことが、これまで見てきた景色を一変させる結果となった。

「出産時、何万人にひとりという病気にかかり、生死をさまよう経験をしたんです。それを経て、自分の人生をどこか遠くからみつめているような感覚を持つようになりました。その後、育児生活に入り、真夜中に双子をあやしていたときのこと。ふと窓ガラスを見たら、疲れて鬼のような形相をしている自分が映っていました。その姿に、ゼクシィがサポートした花嫁たちの姿が重なった。華やかな結婚式を終え、それぞれの人生に向かったみなさんは今、どうされているだろうか。結婚がゴールと言われていた時代が終わり、結婚後も『どう生きていくか』の選択肢が一つではない時代に、彼女たちのためにゼクシィはもっとできることがあるはず。結婚式はお披露目だけの場ではなく、ふたりがもっと強くなれるような機会になりつつあるのではないか。その先の人生を支えてくれる結婚式をゼクシィが応援していく必要があるんじゃないか、と感じたんです。結婚式だけではなくて、当たり前だけれど『結婚』にもっと向き合って考える私たちでありたい、と」

このときの心境を聞いた際に印象的だったのは「自分に失望した」という言葉だった。「育児を経験してはじめて気づくのではなく、当たり前のこととして思い至りたかった」という。



自分に向ける妥協のない眼差し、一つひとつの仕事にどれだけ介在価値を発揮できるかという不断の挑戦があればこそ抱く無力感。伊藤氏のエンジンは自己肯定感の低さで点火され、二度と自己嫌悪に陥りたくないという想いで高速回転しているのだ。

世界を変える組織を創る

2年前にゼクシィ編集部を離れ、昨年、リクルートホールディングスのソーシャルエンタープライズ推進室(現:サステナビリティ推進室)の室長に就任した伊藤氏。現在は、グループ全体のダイバーシティやCSR活動を推進する立場にあるが、自信のなさや自己肯定感の低さは変わらないという。ただ、以前と大きく違うのは、実体験からくる確信があること。専業主婦だった自分の肌感覚から小さなイノベーションを起こし続けた経験は、どんな過去にも価値があり、目の前の仕事にコネクトすることで、その人らしい価値を発揮できるという気づきをもたらした。だからこそ新しいポストに対しても門外漢の不安より、自分が培ってきたものとの化学反応を楽しみに思う気持ちが勝った。そして自分の過去を信じる気持ちは、そのまま他者の過去をリスペクトする姿勢となり、多様な個性を活かした組織づくりを推進するプロジェクトに向かう情熱となっている。どんな過去を持つ人でも、目の前の仕事でイノベーションを起こせると信じているのだ。

ダイバーシティ推進のテーマも、この想いから立脚している。

「個人を尊重し、それぞれが過去に培ってきたものを、いかに目の前の仕事につなげるか。そしてそのためにはどんなマネジメントが必要か、そこにフォーカスしています。多様な人材がいるだけではなく、それを組織の力としてイノベーションを創発する仕組みの構築が大切だと思う」

しかし、それだけでは終わらない。

「例えばダイバーシティの場合、目的は次代のリクルートを牽引するイノベーションの創発にありますが、私たちのスコープはその先に向けられています。個が活きることで生まれる新しい商品やサービスによって、社会の何かが変わるきっかけとなれば嬉しい。そういう意味では、ゼクシィの編集長だったときと感覚的には同じですね。誰を思い、誰の幸せに貢献しようと頑張るのか。いつもそのことを自分に問い続けています。」

一方で編集部は、伊藤氏の話を聞くなかで大きな期待を胸にした。日本でもダイバーシティを推進する企業は増えたが、いまだ多くの課題が横たわっている現状に伊藤氏が風穴をあけてくれるのではないか。ロールモデルとなる組織をつくり、より良い社会づくりを加速化してくれるのではないかという期待だ。それを目の当たりにできる日は、そう遠くないように感じる。

自己肯定感の低さと自己嫌悪に陥りたくないという想いのもと、今日も伊藤氏は奮起する。世界を変えるために。胸をはれる自分でいられるために。