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自分を変え、自社を変え、
そして社会を変えていく。

PROFILE

NTTアドバンステクノロジ株式会社

営業推進部 マーケティング部門

部門長

三宅 泰世

東海大学通信工学科を卒業し1993年に入社。技術者として特許商品を開発するとともに、Webマーケティングを推進してダントツのNo.1シェアを取得。その後、社長直下にマーケティングチームを立ち上げ、2017年マーケティング部門開設、部門長就任。一方で2014年には一般社団法人ビジネスモデルイノベーション協会の発足にも参画し、理事に就任。社内外問わず様々なシーンに活躍の場を広げている。

自らの技術で特許を取得。
そして・・・

NTTグループの中核技術を担うNTTアドバンステクノロジ株式会社。その最新技術やビジネスをさらに広げていくために、2008年に社長直下にマーケティングチームが発足、2017年には部門に昇格している。部門長である三宅氏は2008年のチーム立ち上げ当初から携わっているが、実は彼のキャリアはエンジニアとしてスタートした。技術職で大成できなかったから別の道に進んだわけではない。三宅氏は自らの発明で特許を取得するほどの技術のスペシャリストだった。

その彼がなぜマーケティング部門を立ち上げ、さらには一般社団法人ビジネスモデルイノベーション協会で理事を務めているのか。背景には、反骨精神あふれる三宅氏ならではのストーリーが横たわっている。

三宅氏が自身の発明によって特許を取得したのは1999年のことだ。一般的にはまだ電話回線を使用してインターネットに接続していた時代だが、NTTグループは数年以内に光回線を日本中の家庭に浸透させる計画を立てていた。光ファイバーは超精密な部品であり光コネクタの先端部に1ミクロン(1000分の1ミリ)のゴミが付着していても正常に動作しない。光回線を普及させるには、そうした精密なパーツを持って家庭内でも掃除の行き届いていない配線エリアで作業するのだ。

「これは絶対にクリーナーが必要だろうと。たまたま研究所で学んでいた技術と親和性が高かったので、アイデアを出して特許を取得し、製品化までこぎつけました」

今後絶対に必要とされる光コネクタクリーナーを開発。しかし、ここで大きな山場が訪れる。ITバブルの崩壊を受けて、マーケット全体が壊滅的な打撃を受けたのだ。三宅氏の開発したクリーナーも、発売当初から販売不振の時期が続く。初年度、製品の売り上げは数千万円。在庫はその数倍、数億円分も残っている。損益分岐点売上高は当時の売上の6倍以上と試算していた。このままでは、この製品のためにM&Aで買収した企業そのものが無くなってしまう。ある日、三宅氏は上司に呼び出された。

「要約すると、この不振は僕のせいだからどうにかしろという話で。いや僕は何かを決裁したわけでもないし億万円単位の在庫を抱えると決めたわけでもない。それってどうなんだと思う一方で、実際この事業に関わる人たちが何十人もいることも事実。僕も30歳ちょっとぐらいでしたが、みんなこれからも家族を養っていかなくちゃいけない。なんとかしなければという想いで、上の方に『わかりました』と言ってしまったんです」

一冊の本との出会い。

自ら開発した商品を、自ら販売すると決意した三宅氏。ところが、営業に出向こうとして当時の上司に相談すると、交通費も出すわけにはいかないと言う。出かけていいのは、通勤定期内で行ける沿線の駅だけだと指示された。一方で、あと半年で当時の売上の6倍まで売り上げを伸ばせという声が届いてくる。敗色濃厚なこの勝負を、三宅氏はどう逆転させたのだろうか。

きっかけは偶然の出会いだった。たまたま立ち寄ったジャンク屋で、たまたまマーケティングの本を勧められた。読んでみると、当時自分が必要としていることがすべて詰まっていたのだと言う。

「マーケティングとは、『その商品を売ってほしいと言う人を営業マンの前に連れてくること』だと書いてあって。まだWebマーケティングという概念も無かった頃でしたが、この考え方を実践するしかないと確信しました」

身銭を切って、著者の開催する勉強会にも積極的に参加。自らサーバを用意してHPを開設し、書籍や勉強会で学んだマーケティングノウハウを駆使して問い合わせを増やしていった。

「マーケティングにかかった費用は、サーバ代の1万円だけです。でも1年で100社を超えるお客さまに購入していただきました。受注獲得単価は1件100円ですね。半年で国内シェアを50%以上奪取して、最終的には先行商品を販売していた売上高二桁億円の他企業の事業部の営業譲渡にまで至りました。その結果、開発した商品を中核とする事業は20年経った現在でも、ほぼシェアを独占している状態です」

自ら開発した特許製品を、自ら仕掛けたWebマーケティングでNo.1シェアにまで成長させた。この後は順風満帆なキャリアが待っているだろう。そう思った三宅氏に訪れたのは、まったく逆の環境だった。

どんな時にも、“次”を見据える。

「これは出世するだろうと思ったんですよ。普通はそう思いますよね。でも、実際は逆で閑職に回されました。組織の秩序を乱したという暗黙の罪ですね。今思えばたしかに天狗になって暴言を吐いたりしていたので自業自得なところもあります。でも、当時はまだ若かったので自分の中で消化するのは苦労しました」

苦労したとは言いながら、ここで腐らないのが三宅氏の改革的人材たるゆえんだろう。時間のある間に自社組織の強みと弱みを自分なりに分析した。世界でも最先端の技術を持っているにも関わらず、商品開発し、マーケティングを含め、安定して売れるようにしていくためのビジネスモデルが作れる人もノウハウも無い。そのために宝の持ち腐れになっている。自社をそう捉えた三宅氏は、いつか全組織を横に貫くマーケティング組織を作ろうと決意した。マーケティングとは、会社の外と内をつなげる役割だ。社内外に積極的に働きかけ、経験を積むと同時に人脈も広げていった。

「2008年に社長直下にマーケティングチームを立ち上げましたが、優れた技術を世の中に提供しようと思うと、ビジネスモデルそのものも構築する必要があります。そう考えていた頃に、社外で出会った方から『一般社団法人ビジネスモデルイノベーション協会』を立ち上げるので理事に就任してほしいという依頼をいただいたんです。この協会のメソッドも、今ではNTTグループはもちろんICT業界やそれ以外の大手企業の方々、また総務省や経産省等の関連団体からも要請を受けて導入のサポートをしています」

若い頃から山も谷も経験し、多くの人・組織から必要とされる存在となった三宅氏。変化の激しい現代において、幸せなキャリアを築くためには何が大切か聞いてみた。

「モノと情報と人。そのどれを重点的に浴びたいのかを考えることですね。人づきあいが苦手な人はモノや情報に溢れた世界にいくといい。もちろんどれかが0ということはないんですが、その人にとって心地よいバランスがあるわけです。僕はまんべんなく味わえる人生を歩みたかったので、結果的にこうなっている。自分にとってベストだと思える割合を見つけられるといいですよね」

技術と向き合い、マーケットと向き合い、そして人と向き合っていく。すべてを高次元で成し遂げてきた三宅氏は今後、自社のみならず日本中の組織に変革をもたらし続けるのだろう。